刹那主義って切なすぎ。事勿れ主義とか言う事勿れ。気にしにたまふことなかれ。

2016/08/27

つるかめ算ってご存知でしょうか。どの世代でも、聞いたことくらいはあるでしょう。

では、「つるかめ算って何?」という質問に正確に答えることができるでしょうか?

つるかめ算って何?

ツルとカメが合わせて9匹、足の数が合わせて26本であるとき、ツルとカメは何匹(何羽)いるか。ただしツルの足は2本、カメの足は4本である。

この問題を、あなたならどう解きますか?代表的な解法は3つあります。

  1. とりあえず全部をツルであるとする方法
  2. 面積図を使って解く方法
  3. 連立方程式を立てて解く方法

1.が、所謂つるかめ算の解法です。算数的解法ともいえます。一方の3.は、数学的解法です。中学受験で3.を使わなければいけない問題は基本的に出題されません。算数では連立方程式を教えないからです。

最初に上げた程度の問題であれば、つるかめ算的解法で解くのは容易いですが、難関校ではこの程度の問題は出題されないでしょう。より複雑にされた問題になります。

ただ、方程式を使ってしまえば簡単、という問題も中にはあります。ですが、受験生は数学ではなく算数を受験しなければなりません。

方程式を学んでしまった今の私からすると、とても面倒臭いと思うような問題も多いです。算数の問題とか、ひたすら書き出さないと正当に解けない問題だったりもします。

でも、子供は素直に面倒くさいことをやるんですよね。きっと。

スポンサーリンク

素直な子供。

私も昔は素直だったのかもしれません。

やれと言われたことを、なんの疑いも持たずに、素直にやっていたのかもしれません。

いつからこんなに素直さを失ってしまったのでしょうか。ずる賢さを身に付けてしまったのでしょうか。効率重視とか綺麗な言葉で片付けて、いつからこんなに汚れてしまったんでしょうか。

いろんなことを知ると、いろんな道が見えてきて。

それまでは、与えられた道をただまっすぐ、何の疑いもなく走ればよかっただけでした。

でもある時から、分かれ道が出てきたり、辛かったら走るのやめてもいいんだよ、とか言われることが出てきたり。

いろんな選択肢が現れてきてしまって。それを、自分で判断しなければいけない時期が訪れたりして。

勉強が出来さえすれば、誰にでも誉められてるように感じてたあの頃とは違って。
ある道を行けば、ある人には評価されるけど、ある人からは批判を受けたりして。

誰かに批判されるのを避けて、誰にも批判されないように気を付けていたら、小心者として成長してしまってきたりとかして。

単純だったことが、複雑になってきて。簡単だったことが、難しくなってきて。
どっちに行くのが正解なのか、教えてくれる人がいなくなって。自分でもよくわからなくなったりして。

やっと答えを見つけたと思って選んだ道が、進むにつれて何か違うぞ、とか思ってみたりして。
時が経てば経つほど、やっぱりそれが間違いにも思えてきたりとかして。

後悔するのが嫌だからって、何をするのにも臆病になったりして。
何もしなければ後悔もしないんじゃ・・と、何もしなくなってみたりして。

そうしたら、結局何もしなかったことを後悔し始める自分がいて。
何しても後悔。どこ行っても後悔。後悔しなくても後悔。
と、後悔のない人生を見失う自分がいたりして。それは自分を見失ってたんだなって気付くのは、もっと先で。
後悔先に立たずとか良く言ったもんだなって感心してしまうのは、もっともっと先で。

私は昔から完璧主義で。何かに打ち込むのが得意で。
完璧主義ってのは一見、与えられた仕事を完璧にこなす出来る奴だよね。
と思いきや、
妥協することが一切出来ずに、物事のバランスをとるのが下手くそ過ぎて、とても偏った融通の効かない人間であることに気付いてみたりして。

だから、「短所:完璧主義」とか言ってみたりもして。

何事にも依存体質で。一度ハマったらなかなか抜けられなくて。

恋なんてしたら、自分のコントロールが利かなくなるのもわかってて。
だから恋をするのをやめてみたり。すると過去の恋はどんどん美化され始めて。
想い出を心の支えにして生きることほど、虚しいことはなくて。

やりたいこと知りたいことってのは果てしなくて。決して終わりは見えなくて。
もし終わりが見えてたら、達成感の後に訪れる虚しさがが予測できて。
それが悲しくて、楽しみの中には常に悲しみが入り混じっていて。

ある時、1ヶ月後にある大好きなアーティストのライブをもの凄く楽しみにしていた。
「早くその日が来ないかな~」と、毎日楽しみに生活していた。

あと1週間、あと3日、と迫ってくるほど、私のテンションは高まってきて。楽しみでしょうがなくて。
そのことばっかり考えていて。それはそれは精神的に良い状態で。健全な状態で。

そして当日、ものすごくテンションが高まった最高な状態で、ついにライブが始まった。

でも、そのライブが始まって、半分くらいの時が過ぎた頃に、思うこと。

これだけ楽しみにしてたライブが、もう少しで終わってしまう。
この先、これ以上楽しみに出来ることってあるんだろうか。

そう考えると、突然虚無感が襲ってきて。
楽しみ中なはずなのに、既に楽しみのピークは過ぎ去っていて。

そんな体験を1度でもすると、何か楽しみなことがある度に、いつもそんなことを考えてしまったりとかして。

だから、人生にゴールがあったら、虚しくなるんでしょう。
終わりを考えた瞬間に、虚無感が訪れるんでしょう。

ゲームだってそう。人生ゲームだけじゃなくてなんだって。

何もせずにいきなりエンディングだけを見るよりも、
めんどくさくて無駄なレベル上げだとかがあって、
強いボスに勝てなくて何度も全滅してやり直して、
失敗したな~とか余計なことばっか繰り返して、
それからようやくエンディングを迎えるから、

いろんな思いが詰め寄せてきて 感動する。

ほんとはゲームにも終わりはなくして欲しい。
永遠に続編を作り続けて欲しい。アップデートし続けて欲しい。

そうしたら、ずっと先を見ながら楽しみ続けられるのに。
終わりを見定めてプレイする虚しさが訪れなくなるのに。

スポンサーリンク

精神的に向上心のないものは、馬鹿だ。

余計なことを考えてしまうのも人間。
無意味なことを繰り返してしまうのも人生。

いつのまにやら、向上心ってのが生きがいになっていて。

向上心を持たずに幸せに生きることが出来ている人を、羨ましく思ったりとかして。

「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ。」

そうかもしれない。そうかもしれないけど、幸せかもしれない。不幸ではないかもしれない。

単細胞な生物ってのは、そんな余計なことを 考えずに生きているみたいで。

それはとても純粋で。とても素直で。まっすぐで。

子供の頃の自分に重なって。時に、子供の頃に戻りたくなったりもして。

「ドラえもんよりも、名探偵コナンだよ。」

ドラえもんの四次元ポケットがもらえるのと、今の頭の中のまま小学生に戻れるなら、私はコナンを選ぶかな。

でもね、周りが見えてしまった今、そんな状態に戻るわけにはいかなくて。

なにもかもが、思い通りにはゆかない。

だけどね、

だからこそ人間は面白くて。
だからこそ人生は楽しくて。

見方によっては、幸せってやつは溢れているんだよね。

「どこから見ても不幸な人間なんていない。」

そう信じてみたい。何事も気にしすぎは体に良くないんだよ。

  • 刹那主義って切なすぎ。
  • 事勿れ主義とか言う事勿れ。
  • 気にしにたまふことなかれ。

記事下アドセンス

スポンサーリンク

-