illionとRADWIMPSとの間には、明確な表現方法の違いがありました。

ふらりふらりとネットの世界を旅していたところ、とあるインタビュー記事に辿り着きました。

この記事を読んで、また野田さんの想いが好きになって、1年前の野田さんの本『ラリルレ論』を引っ張り出してきて、それを読み返したりしてみたりして。

想いが溢れて。その想いを上手く言葉に出来るほどの表現力がなくて。想像力並みの表現力が欲しい。そう思う今日この頃です。結局、自分の中での想像力と表現力の闘い。

兎にも角にも、このインタビュー記事は良かったです。私にとってはかなりの良記事です。影響受けまくりです。

RADWIMPSが「起きている時間」なら、illionは「寝ている時間」

早速引用させていただきたいのがこの部分です。

RADWIMPSが「起きている時間」なら、illionは「寝ている時間」。自分のなかで二つは全く違う場所にあるものなんです。

勝手に言い換えるならば、「起きている時間」は「意識的」、「寝ている時間」は「無意識的」。つまり、RADWIMPSは意識的な表現、illionは無意識的な表現。やはりRADWIMPSの曲は、歌詞の意味であるとか世界観を言葉を通して感じて、味わうというのがより効果の高い表現の受け止め方だと思うんですよね。野田さんから吐き出された言葉の意味を聴き手が噛み砕くという処理が必要な感じです。一方のillionは、RADWIMPSのように、噛み砕きがいのある言葉が並んでいるわけでもない、そこらへんがやはり無意識的という。記事の中で野田さんは、「潜在的な答え」という表現もされていますが、まさに潜在意識から吐き出される言葉を採用しているのがillionなのでしょう。

そもそもillionには、RADWIMPSで求められる「言葉の意味」から逃れたいっていう意識があって。なので、自分でも不思議なんですけど、次のアルバムは「聴きながら踊れる」し「聴きながら眠れる」んです。特に集中しなくてもいい、BGMになれる音楽……そういうものは、自分でも初めての感覚なんですよね。

ここも凄い。RADWIMPSは、「言葉の意味」を求められているということも自覚されているし、それをしっかり返している。流石ですね。そして、illionの歌詞の書き方の話も上記の様々なこととつながってきます。

illionの歌詞の書き方って、RADWIMPSとはまったく違うんですよ。なるべく考えないし、なるべく筆を止めない。だいたいスタジオに行ってからその場で書いているし、下手したら文字にも起こさないで、仮歌で出てきた言葉をそのまま採用したりするんです。

私がなんとなく感じていた、illionの曲に対する想いを、言葉にしてくれた感じがします。やはり、illionの曲はRADWIMPS的に聴くことは出来なかったんですよね。どちらかというと、響きを通して感じるというか。RADWIMPSの曲が、言葉から入ってくるのに対して、illionの曲は、響きとか音から入ってくる感じです。

illionの新作「Water lily」

上記の記事でも紹介されていますが、illionの新作「Water lily」には特設サイトがあります。

正直、謎なサイトに辿り着きます。左下のiマークをクリックしてみたら説明がありました。

当サイトでは、同時アクセス中のユーザーが画面上をスワイプ/タップすることで「Water lily」をジャムセッションすることができます。

なんか、新しい試みですね。新しすぎて若干置いてかれそうな、でも追い付いていきたいような。

そして、illionの新しいアルバムは、2016年10月12日(水)発売予定ということで。今から楽しみでございます。

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RADWIMPSの曲は、時代と共にテーマが変化している感じ。

私は昔からRADWIMPSが好きです。
まず、昔のRADWIMPSが好きです。そして、少し前のRADWIMPSも好きです。
さらに、最近のRADWIMPSも好きです。何より、変化していくRADWIMPSが好きです。
最近のRADの曲が好きだからといって、昔のRADの曲が嫌いになるわけでもありません。
どちらも好きになれるのです。世代世代によってテーマが異なるから。
10年前のRADの曲を、今でも今の気持ちの中で聴くことが出来ます。

10年前と今とでは、RADWIMPSは驚くほど変わっている。昔は僕自身、「憧れる人に近づきたい」っていうある種の自己嫌悪を抱えながら歌を作っていたんです。でも今はもう、「自分もその人に近い場所にいれるようになったかな」とか「そもそも追いかけていた人なんていたのかな?」って思えるようになっている。

「憧れる人に近づきたい」これは、まさに初期RADの世界観です。青春時代を自己嫌悪中心に謳歌する。誰もが通る道と思いたいところですが、皆が皆そうではないかもしれません。初期RADの歌詞の中に登場する『君』と『僕』の関係がまさにそうですよね。今世紀最大の突然変異とか、君が僕を造ったとか、とにかく『君』を神格化しているんです。そして、今となっては、『僕』も『君』側の人間に近付いてきた。そのどちら側の立場も分かった世界観に変化しつつあります。

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私にとって、RADWIMPSは辞書みたいなものかな。

私が何か思いに耽る時、私が何かに思い悩む時、私が何かに行き詰まった時、私が人生に疑問を感じた時、私が世界に疑問を感じた時、私が誰かに恋した時、大体RADの曲を聴きます。その時の状況によって聴く曲は異なります。その時の症状によって効く曲は異なります。でも、RADWIMPSの曲はもう既に100曲以上のあります。どこかで、そんな思いを代弁してくれている。そして、私に気付かせてくれる。さらに、私を考えさせてくれる。

最後に、いつかどこかの私が組み立てた言葉を置いておきます。

何か分からない言葉に出会ったら、辞書を引いてみるといい。そこに解釈例が載っているはず。でもそれをそのまま使うんではないよ。自分の解釈に変換してから使うといい。

何か分からない感情に出会ったら、RADの曲を聞いてみるといい。そこに解釈例が載っているはず。でもそれをそのまま使うんではないよ。自分の解釈に変換してから使うといい。

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